2006年5月6日土曜日

『死のノート』があるとしたら…

『死のノート』とは、言わずと知れた(?)『デスノート』のことである。

週間少年ジャンプで連載中の『デスノート』のことで、このノートに名前を書かれた者は数十秒後に死んでしまう。このノートさえあれば、自分が恨みを晴らしたいと思うような相手に気軽に復讐できる。しかし、この漫画の主人公はこのノートを使用して犯罪者を殺していき、最終的には自分の存在が人々に『悪いことをしてはならない』という思想を浸透させ、心の優しい人間だけが住む世界を作り上げようと目論む。

これくらいのことは誰しも考えたことがあるはずだと思う。
そう、世の中には理不尽や不条理がまかり通り、その都度、何の罪もない人々が命を落とす。
先日も、当時は未成年だった少年に娘を殺された父親が怒りと悲しみを混在させながら、
「(その少年を)殺してやりたいですよ」
と辛い気持ちを堪えながら答えていた。
また、妻と子供を殺された男性は、
「もし法律が正当な裁きを下さないのなら、私が法に代わって(犯人に)裁きを下します」
と言っていた。
この辺りの話はニュースだけでなく、ワイドショーの格好の材料となるので、どのチャンネルを回してもその話題で持ちきりだった。そして、そこにいるコメンテーターと称する三流ジャーナリストだかパネリストだか分からないような人々は、紋切り型の反応しか示さない。そんな反応を示さないのはテリー伊藤くらいじゃないのか?

話をデスノートに戻すと、もし肉親を不条理な理由で殺された人々がデスノートを持ったとすると、十中八九、彼らはそれを使用するに違いない。
『人を恨まば、穴二つ』とはよく言ったもので、恨んだ自分自身もそれなりの代償を払うことになるということだが、肉親を殺された人々にとってはそんなことはどうでもいい。ただ復讐を、報復をしなければ、自分の気持ちの治まるところがない。人間として、普通の反応だと思う。自分だって、同じように思うだろう。それは間違いない。

ただし、『目には目を、歯には歯を』の復讐法で相手を葬ったとしても、果たしてそれが正解なのか…?いや、この場合、何が正解で間違いというのはない。あくまで個人が何を正義とし、何を悪とするかだけのことだ。

私自身としては、肉親を失った人々と同じ立場にあったとしても、その『デスノート』(が仮に存在するとしても)の使用だけは避けたい。相手を殺してしまっても、おそらく自分の気持ちが治まることはないだろう。逆に、相手を殺してしまえば自害をしかねない。それまで家族が自分にとっては最も大切なものであったのに、それを一瞬のうちに奪われてしまって、その復讐を果たした後に自分に何が残るというのだ?生きていること自体に意味を見失っているのだから、相手の生命を奪ってしまえば、それで本望だ。あとは自分も天国の家族のもとへ…という次第になる。

本当に復讐をするべきなら、命を奪わず、生き地獄というものを与えるしかない。
精神的にサディスティックな人ならばそれで構わないかもしれないが、普通の精神の持ち主であれば、相手からの誠心誠意の謝罪の言葉を聞きたいはずだ。しかし、それでも満足できるものではないことは確かだ。最終的には、許すか許さないかは当の本人自身の気持ち一つなのだ。

心の優しい人間だけの世界なんて不可能だ。
でも、それに近づけていけるよう、我々は努力をすることは幾らでもできるはずだ。

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