2006年7月15日土曜日

羊毛→ひつじげ、子孫→こまご… 学力低下どうフォロー

ぶっちゃけ、これは国家の一大事です。

たかが国語…と侮ることなかれ。国語こそが国を支えていく屋台骨なのだから。たしかに、私自身も小学生の時代に「白糖」を「しろもも」と読んだ覚えはある(汗)。しかし、「子孫」を「こまご」、「羊毛」を「ひつじげ」と読んだ覚えはない!(←五十歩百歩か?)

しかし、どうしてこんなに今の小学生の識字率は低いのか?ちゃんと塾に行って勉強してるんじゃないの?それとも、塾では文字の読み方を教えないのか?だいたい、塾に行かなくったって読書をしていれば、自ずと文字は読めるようになる。ついでに、言葉の意味も分かるようになる。今回のこの調査報告では、小学生の読書週間については何も取り上げていない。

読書は人生においてとても大切だ。「大人になったらいくらでも読書できる時間はあるんだから…」と子供に諭している大人がいるとしたら、私はその人たちに問いたい。「では、あなたたちは読書をしているのか?」と。おそらく答えはノーだろう。「子供のうちは勉強に打ち込んで、いい中学、いい高校、いい大学に入って、いい会社に就職できればいい」などと考えている親ほど、実は読書の大切さを知らない。そして、当人たちも本を読まない。

確かに。大人(ここでは大学生としておくとして)になれば、読書をする時間はいくらでもできるだろう。しかし、小学生のとき、中学生のとき、高校生のときでしか持ち得ない感性というものがある。私が小学生の頃、夏目漱石の『我輩は猫である』を初めて読んだ。忘れもしない小学5年生の夏休みの読書感想文に、私は『吾輩は猫である』を選んだのである。近所の図書館で上下2巻を借りてきて、ただひたすら読んだ。当時の自分にとって、あのくらい長い物語を読むのは初めてだったので、物語の前後関係が分からなくなってしまい、読書感想文には物語の一部分のことについてのみ語ることにした。それから数年後、中学生になった私は夏目漱石の作品をすべて読み漁っていくようになっていった。小学生の頃に読んだインパクトのせいか、夏目漱石の文章は自分にとってとても小気味良かった。そのときは『我輩は猫である』を再び読むことにした。小学生の時分に読んだ内容を少し覚えていたので、読みながらどこか懐かしい感じがした。そして、この作品がいかにユーモアに富んだものかをようやく実感することができたのだ。その後、『こころ』や『坊ちゃん』、『草枕』などを読み進めていった。私の日本語の原点は、まさに夏目漱石の作品にあると言っても過言ではないと思う。

延々と自分の話ばかりになってしまったけれども、それだけ読書は大切なものだと私は考えている。そして、どれだけ肌広く奥深い読書をしたかが、その人の人格形成に関わってくると思う。私は純文学一辺倒だったので、どちらかと言えばカタブツの部類の人間になるんだろう。でも、それが悪いとも思わないし、恥ずべきことでもないと思っている。強いて言えば、私は純文学という土壌で育ったことに誇りを持っている。日本のみならず、世界の文豪たちが後世に生きる私たちに遺してくれた遺産が、不朽の名作と呼ばれる作品群なのだから。

話がだいぶ逸れてしまったが、今の小学生に読書が足りないということなら、学校側は始業前の10分間でも読書に当てさせるべきだ。嫌がる子供いるかもしれないだろう。しかし、子供が嫌がるからといって、本を読ませないというのは教育者側の怠慢でも何物でもない。教育者であれば、子供たちに読書の面白さを教えるべきだ。学校の先生方も今の教育現場ではいろいろと規制があったり、保護者や教育委員会からの圧力があったりして、なかなか居心地の悪い思いをしているのだろうが、教育者としての心意気を見せて欲しい。

10代の子供たちに如何わしいことをして、警察の御用になっている教職員がやたらと多いこのご時世だからこそ、真の教育者のあるべき姿を見せてもらいたい。

Read more at www.sankei.co.jp/news/0...

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

Here are some links that I believe will be interested

Zenback