2006年7月16日日曜日

“頑張る”は最低ライン

昨日、2週間に一度の病院での定期診断を終えて家に帰り、晩御飯を食べたあと、先日現役引退を表明したサッカー選手の中田英寿の引退特番をやってた。裏で『26時間テレビ』をやってたけど、自分にとって有益なのは言うまでもなく、中田英の方だ。

番組では、彼がどのようにして日本のサッカーに貢献して、そして今回の引退を決めたのかについて、彼自身によるW杯での日本チームの全試合の分析とインタビューによって構成されていた。

番組中、忘れられない言葉があった。
『"頑張る”ことはプロとしては最低ラインのことであって、そこから何ができるかが大切』
正直、この言葉は私の頬を叩いた。



私自身、サッカーはやらないし、サッカーを観ることもない。
それでも、なぜか中田英寿という人物には惹かれるものが常々あった。
それは彼が常にプロフェッショナルとしての仕事(=サッカー)を意識してプレーしていたからだろう。そして、それはピッチの上だけでなく、普段着の彼自身からも表れていた。

彼の言葉はどれも的を射ていて、自己の問題点を意識している者にはグサリと来るものがある。

決して問題点を見過ごそうとはしない。

何が良くて何が悪いのか、それを客観的に捉え分析し、次につなげるための解決策を説いていく。

コーチングに関する本がちまたに溢れている中、実際にこういうことをできる人は少ない。
それは日本人にとっては苦手な"衝突"を生むからだ。和の精神では、突出した個を疎む傾向がある。何も和の精神が悪いといっているのではなく、"和"であることばかりに目がいってしまっているのが良くないのだ。

ある集団内で問題が発生したとき、その問題を解決するために集団がしなければならないことは、その"問題を確認し解決していく"ことである。決して足並みを揃えることではない。

最善の解決策を考え導き出した末に、足並みを揃えるということが必要なのであれば、それは必然のことだと思う。しかし、何が問題であるかを確認し、分析を始めていく前に足並みを揃えることを意識してはならない。このとき、集団は集団でありながらも、“個゛の集まりとして動かなければならない。

そして、何よりも大切なのがその“個”が自分自身の問題として、提示されている問題を捉え分析し、解決を導き出すということなのだ。

普段何気なく新聞やテレビで世間で起きている事件を、他人事だとは思っていないか?
もし自分が同じ立場であれば、どのような行動をするのか?
そのとき、自分は目の前の現象に冷静に対処できるのか?
この事件の背景には、当事者のどのような社会的背景、心理的条件などが関係しているのか?

これらのことを私自身に置き換えて考えてみると、中田英の言葉は、私が問題視していながらも対処できていない部分を目の前に改めて提示してくれた。否、「目をそむけてはいけない」と突きつけられている様な気がした。
それは私のメンタル的な弱さ、それ以外に他ならない。

サッカー日本代表は最後のブラジル戦で、4-1と3点差を開けられ、中田自身も「このゲームをひっくり返すのは不可能」と昨夜の番組中で語っていた。

シュートを打てない。ボールも取れない。
それで走ることさえ止めてしまったら、それは本当に負けだ。
逆転なんかできないと分かっていても、プロとしてボールを走って追うことまでを止めてしまったら、プロとして失格だ。


そんな言葉を語っていた。

私自身、そんな状況に身を置いているのだ。
彼と同じような気持ちで、その状況の中でやり尽くせることをやらなければ、自分の中の自分に三行半を突きつけているようなものだ。

だから、中田の言葉にハッとしたのだ。

いつも意識のどこかで気にしていながら、そこに本気で取り組めていない自分がいる。
全力で走っていない自分がいる。

本当に戦わなければならない相手は自分の内にいる、とよく言うがまさにその通りである。
己に勝つことによって、初めてさらに上の高みへと上れるのだ。

中田も同じことを言っていたけれども、“頑張る”という言葉は、私自身あまり好きではない言葉だ。それは“頑張る”の持つニュアンスがすごく曖昧だからである。

頑張ればそれでいいのか?ということであって、結果が問われるシチュエーションにおいては頑張ることなど最低条件のなにものでもない。

その最低条件をクリアした上で、どういう結果が残せるか。

もしくは、

求めている/求められている結果を得ることができるか。

ということだ。

私には成し遂げるべきことがある。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

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