2006年12月7日木曜日

思考停止する恐ろしさ。

インターネットが身近なものになって久しい。
そして、自分の元に届けられる情報の量が劇的に増えてからも久しい。

その情報をここに訪れている方々は、どう処理されていらっしゃるだろうか…?

私の場合、もう情報の処理とかいうレベルの問題ではなく、情報は絶えず『垂れ流し』状態になってしまっている。
Macに標準搭載のSafariはRSSリーダーにもなるので、それこそたくさんのブログやニュースを登録しておけばどんどん更新していってくれる。

しかし、ここで困ったことがある。
それはおそらく誰もが直面している、もしくは直面したであろう問題である。
何かと言えば、次々と更新されていくブログやニュースのすべてをチェックできないでいる。

もちろん、すべてをチェックする必要なんてこれっぽっちもないから、自分の関心のあるものだけを見つけてそれを読むようにしている。それが私の今のところの情報処理技術である。
しかし、毎日それをやっていながらふと自問するときがある。
それはこんな感じに自分の脳裏に訪れる。

関心のあるものだけをチョイスしてチェックして、それでいいのか?
そればかりやっていたら知識がどんどん偏っていき、終いには思考停止に陥るのではないか?


という妄想の域にありそうな不安、恐ろしさである。

実際にコンピュータや映像関連の知識はそれなりに強い。しかし、それ以外の知識が弱い。
例えば、政治や世界情勢のニュースを読んでみて内容は理解できるけれども、それに対して自分の意見を返すことができない。それは明からに自分の知識不足から起きていることであり、その結果、自分自身の中から何も答えが得られず思考停止に陥ってしまうのである。

この状態が一過性のものであればいいのだけれど、このままずっと続くとなるとかなり怖い。自分の意見を持たないという状態はとても怖い。日本人は一般に横にならえの習性があり、そのために自己主張の苦手な国民であることは有名なことだ。私自身、アメリカに住んでいて、そういう状況に出くわしたことが何度もあった。留学生というのは兎角、自分の国の人間と一緒にいたくなるものだ。それはどこの国からの留学生とて同じことだ。しかし、日本人留学生にはその傾向がやたらと強い。

私はそんな自国の連中を見ていて生来の“天の邪鬼”の性格があらわれて、渡米して数ヶ月もしないうちに日本人コミュニティーから孤立してしまった。意識して日本人の集まりから離れたわけではないが、【自分がやりたいこと】を貫こうとするとどうしても「横に習え」の集団哲学が邪魔なのだ。だから、1人で行動することが多くなった。しかし、だからといって全くの孤独になったわけではなかった。何かを失えば、必ず何かを得ることに繋がる。私は国境を越えた多くの友人を得た。その親交は今でも続いている。

さて、自分のヨタ話が長くなってしまったが、何かに慣れてしまうことはいいことでもあり、悪いことでもある。私が今直面しているのはその悪い面だ。慣れてしまうが故に、思考が停止しがちになってしまう。ぶっちゃけた話、思考をめぐらすに足るほどの刺激が足りなくなるのである。だからこそ、異文化や自分とは畑違いの分野に足を突っ込んでみないといけない。

ここまでウダウダと書き連ねてしまったが、結局は食わず嫌いをせずに様々な情報に時には頭を浸してみて、幾らかでも頭を働かすしかないんだろうな。

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