2006年5月31日水曜日

謎は解けたよ~、ワトソン君!!

明日はちょっくら忙しい日になりそう。

まずはハローワークで職業相談。これも雇用保険をもらうための重要なことなのだ。
社会保険を払っているからって、仕事を辞めたらタダでお金をくれるワケではない。ちゃんと就職活動を行っている否かが大切になるのだ。

そして、病院で健康診断。
これは学士受験のために必要なこと。
去年までは京都の武田病院の健診センターで破格の安さでできていたけれど、今回はそうはいかない。果たしてどれくらいの金額になるのか…。

そして、受験票用の写真を撮影しなきゃならない。
別にカメラ屋でちゃんとしたやつを撮るつもりはないけれど、地元なのにほとんど外から来た人のような状態なので、どこに何があるのかさっぱり分からず…。もう、こうなれば犬を連れて証明写真を撮れる場所を探すか(←別に意味はありません)。



ところで、学士編入用の勉強の調子は鈍詰まりです。
勉強なんて全く進みません。せいぜい問題集を読むくらいができるくらい。
もともと生物は得意だからそれなりの予備知識はあるけれど、勉強をしていなければ忘れますよ、そりゃ…。

しかし、6月に入れば勉強できるかもしれない。
そこはもう手伝いのボイコットだろうがなんだろうがやってみるしかない。
ただ、この間、父親がぶっ倒れてしまった(今はすでに復活してる)ので代役をいろいろと頼まれるかもしれない…。それはそれで厄介だなぁ。
病気を持っているんなら、その病気を治すように努めてもらわなきゃ困る。
こっちだって、頭の病気を抱えているんだから…。
こちらは薬が切れたらアウトなんだから。

ネコバス

先日、買い物に出かけた際に宮崎駿アニメのキャラクターグッズを売っているお店を見掛けました。宮崎アニメの中では『天空の城ラピュタ』が群を抜いて好きなんですが、キャラクターとなるとネコバスです。

何が好きか?と聞かれても返答に困るんですが、行き先が『めい』になってメイのいるところまで駆けていく様が好きなんですかね、きっと。あと、あの愛嬌のある顔立ちが何とも言えなく好きですね。

2006年5月21日日曜日

国家の品格

先日、病院に行った際に帰りの電車を待っている間に本を買いました。
それが『国家の品格』



その日の朝刊にその本の広告がドーンと載っていたので気になっていたところ、タイミング良く本屋に行く機会ができたわけです。その広告には養老孟司氏をはじめとする知識人による絶賛の言葉が綴られていたので、普段は心動かされない私でもちょっとくすぐられてしまいました。そして、何よりもその本の著者が数学者であるという点が大きな魅力であるわけです。
藤原正彦といえば、新田次郎の息子であることも有名です。
まぁ、そんな前置きはいいとして、肝心の本の内容です。

残念ながら、まだあんまり読めてないのであれこれと批評を書くこともできません。
しかし、最後の方をちらりと読んでいるので、「これが著者の最も言いたいことだろう」と推測することはできます…。

ニュースを見れば、毎日のように殺人事件が報道される。それも前例のなかったような残酷なものであったり、不可思議なものであったり…。そして、街を見渡せば人々のモラルの低さには辟易してしまう。はたまた、耐震偽造問題、ライブドア事件等、企業人のプロフェッショナルとしての意識がなく、利潤至上主義が蔓延してしまっている。
かつての道徳心が高く、礼儀正しい日本人はどこへ行った?という話になるわけです(これは私の意見ですけれど…)。
まさに国家の品格を疑われるという始末です。まぁ、それは○○大国にありがちなことではないかと思うんですけれどね。

そこで、藤原氏はいくつかの提案を挙げています。
中でもユニークだなと思ったのは、『役に立たないものを尊ぶ土壌が大切』というくだりです。著者自身が数学者なので、数学が実生活にそれほど役に立たないことを認識しているのでしょう(苦笑)。よく言われることですが、因数分解が日常生活のいったいどこに役立つんだ!?っていうわけです。私自身はそんなことをゆめゆめ思いませんでしたけど…。

文化だとか、芸術だとか、そういうものは日常生活には正直言って必要ないでしょう。
しかし、そういったものがあることで人間性というものの培われていく。
先日もイタリアのフィレンツェでガリレオ2000賞を受賞した北野武監督も同じようなことを言ってた。
『芸術だなんてものは、そもそも生活には必要ないもんであって、そいつを作れてるってことは素晴らしいことだね(のようなことをインタビューで言ってたと思う)。……芸術ができる環境は平和であること。芸術に命を懸けられるのは素晴らしいことだと思う(←ここはニュース記事から割愛させてもらった)

人々の心が荒んでいっては芸術を尊ぶ精神も培われない。
政府も企業も効率化や利潤ばかりを追い求めるのではなく、人々の生活にもう少し『役に立たない』ものが入り込める隙間を作ってはどうなんでしょうか。

2006年5月20日土曜日

わんこの肥満

我が家のわんこは、お世辞にもスリムとも締まった体とも言えないほど太ってしまっている…。
本来の飼い主である両親が甘やかしたために、ブクブクと太ってしまって見た目は愛嬌があって可愛いが当のわんこ本人にしては辛い体格だろう。

そんなわけで、私ひとりがわんこのダイエットを決行しようと思う。
もちろん、母親もわんこのご飯を少なくしてダイエットをさせようとしているのだが、なにせわんこに甘い…。間食というか本来のご飯以外のものを食べていることが多い。これではせっかくのダイエットも水の泡。

食事や運動をしっかり管理して、かっこいいわんこになろう!!

2006年5月18日木曜日

iPod携帯にはまだ早い…。

プレスリリース2006年 | ソフトバンク株式会社

ソフトバンクから上記の発表が早速ありました。
「まだ正式決定ではないので、日経の報道を真に受けないで」との内容。
でも、おそらく実現するんじゃないかなぁ…。
でも、携帯で音楽をダウンロードできるようなものにしなければ、日本では失敗するんじゃないかな。アップルとしてはiTunes Music Storeをそのまま利用したところだろうけれど、携帯電話端末のメジャーな使い手は10~20代の女の子が中心だから難しい仕組みにしたら全く使わないだろう。

携帯端末にiTunesが初めから組み込まれていて、それによって音楽をダウンロードできるような仕組みが望ましい。つまり、パソコンは必要ないというような形にならなければならない。

まぁ、そんなうんちくはいいとして、つい先日出たばかりのMacBookの白がいいなぁ。黒もあるけれど、やっぱ白の方がアップルっぽい感じがする。
でも、それを購入するのはまだしばらく先になりそうだけれど…。

2006年5月14日日曜日

勉強しなくちゃね。

密かに進めている医学部学士編入試験対策
でも、実際にはその肝心の勉強がなかなかできていない…。
毎日できればいいのだけれど、家事なんかもこなしていると自分の時間というものがほとんどなくなってしまっている。考えてみると、布団に入る1時間前が唯一自分の時間かもしれない。

それでも、「それを家族のせいにしたりするのはおかしいよな…」と風呂に浸かりながら思った。

与えられた時間というものは、人それぞれ24時間と言うのは平等であって、それいかに使うかっていうのは個人の時間管理術によって変わってくる。
自分の場合、1日の大半を本来の目的以外のところへ割かなければならない。
とすると、その割いている時間の中にある細切れの時間をうまく利用して、細切れをたくさん繋いでひとつの時間にするしかないだろう。つまり、細切れの時間にはフラッシュカードなんかを見たり、テキストを読んだりして情報をどのような形にせよ、インプットしていくように心掛けなければならない。

それが実際には難しいのだが、やってみるしかないだろう。
本ならいくらでも読めるのだから…。

<ソフトバンク>iPod携帯で「負け組」脱却狙う

Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <ソフトバンク>iPod携帯で「負け組」脱却狙う

マジすか、↑の話…。

それがこのニュースを読んだときの第一印象。
ソフトバンクというか、孫正義という人は仕掛けるときには思いっきり仕掛けるんだなぁ。まさにびっくり!!

私はauを使っていて、iPodを持っているのでLISMOにはあんまり関心がないけれど、ソフトバンク+ボーダフォンは携帯にiPodを付けるという発想を持ってきたか。
auからもHDD内臓の携帯が出てるけれど、このソフトバンクとアップルの共同開発のiPod携帯が発表されたら、かなり携帯電話のマーケットが変わりそうな気がする…。

私はおそらくauを使い続けるでしょうけどね。

2006年5月13日土曜日

やっぱり犬が好き

その昔、『やっぱり猫が好き』というタイトルの番組があったような気がする。
出演者は、小林聡美、室井滋、もたいまさこの3人だったはず…。
番組の中には必ず猫が登場…というか、この3人が姉妹で猫を飼っている設定。犬はまさに蚊帳の外というような感じだった。

それがどうした?というわけでもないけれど、私自身としては犬が好きだ。
それはおそらく私自身の性格が犬に近いものだからなんだと思う。
犬は3日飼ったら、その恩を忘れないという。私もそうであるかどうかは定かではないが、後足で砂ばかけよる(中島みゆきの『ファイト!』より)ということはしない。義理人情に厚いという性格ではないけれど、困っている人はやはり放っておけない。

もし自分が本当に犬だったら、どんな種類の犬になるかと考えてみたら、「きっと柴犬だろう」と昔は思っていたけれど、今ではレトリバーかな…。自分をよく言いすぎているかもしれないけれど、自分を擬人化ならぬ『擬犬化』したらおそらくレトリバーだろうと思う。雰囲気が似てるんじゃないだろうか…。

なのに、写真はコーギーなんです。
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2006年5月11日木曜日

献血「知らない」4人に1人

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 献血「知らない」4人に1人…献血未経験の若者

最近の人って、あんまり献血に行かないのかぁ…。
私は20代の頃はよく献血に行ってましたから。それ自体がひょっとすると他とは違うのかもしれないけれど…。

自分が予備校生の頃、2週間に1度は献血ルームに行ってた(成分献血は2週間に1度のペースでできたから)。
別にお目当ての人がいたとか、帰りにもらえる景品に目がくらんだとか、そういう理由ではなく、ただなんとなく自分の血が誰かの役に立つなら、できる限りのことをしようという気持ちで献血に行っていた。
アメリカに行ってからも、学校に献血カーが来たときはほとんど献血に行っていたし(アメリカでは全献血をしたので、牛乳瓶2本分くらいだったかな)、可能な限りのかたちでボランティア活動をしてた。アメリカではボランティアを推奨する仕組みがあるし、ボランティアが人々の日常生活の中に溶け込んでいたような気もする。だが、それは自分がボランティア活動をせっせとやっていたからそう見えただけなのかもしれない。

ともかく、献血はしたい。
しかし、今の自分はワケありでおそらく献血できない。
もちろん、感染症とかにかかっているから…とかいうような理由ではなくて。

健康な人なら誰でもできる社会奉仕、それが献血。
もうちょっと献血が当たり前になってもいいと思うんだけどね。

2006年5月6日土曜日

『死のノート』があるとしたら…

『死のノート』とは、言わずと知れた(?)『デスノート』のことである。

週間少年ジャンプで連載中の『デスノート』のことで、このノートに名前を書かれた者は数十秒後に死んでしまう。このノートさえあれば、自分が恨みを晴らしたいと思うような相手に気軽に復讐できる。しかし、この漫画の主人公はこのノートを使用して犯罪者を殺していき、最終的には自分の存在が人々に『悪いことをしてはならない』という思想を浸透させ、心の優しい人間だけが住む世界を作り上げようと目論む。

これくらいのことは誰しも考えたことがあるはずだと思う。
そう、世の中には理不尽や不条理がまかり通り、その都度、何の罪もない人々が命を落とす。
先日も、当時は未成年だった少年に娘を殺された父親が怒りと悲しみを混在させながら、
「(その少年を)殺してやりたいですよ」
と辛い気持ちを堪えながら答えていた。
また、妻と子供を殺された男性は、
「もし法律が正当な裁きを下さないのなら、私が法に代わって(犯人に)裁きを下します」
と言っていた。
この辺りの話はニュースだけでなく、ワイドショーの格好の材料となるので、どのチャンネルを回してもその話題で持ちきりだった。そして、そこにいるコメンテーターと称する三流ジャーナリストだかパネリストだか分からないような人々は、紋切り型の反応しか示さない。そんな反応を示さないのはテリー伊藤くらいじゃないのか?

話をデスノートに戻すと、もし肉親を不条理な理由で殺された人々がデスノートを持ったとすると、十中八九、彼らはそれを使用するに違いない。
『人を恨まば、穴二つ』とはよく言ったもので、恨んだ自分自身もそれなりの代償を払うことになるということだが、肉親を殺された人々にとってはそんなことはどうでもいい。ただ復讐を、報復をしなければ、自分の気持ちの治まるところがない。人間として、普通の反応だと思う。自分だって、同じように思うだろう。それは間違いない。

ただし、『目には目を、歯には歯を』の復讐法で相手を葬ったとしても、果たしてそれが正解なのか…?いや、この場合、何が正解で間違いというのはない。あくまで個人が何を正義とし、何を悪とするかだけのことだ。

私自身としては、肉親を失った人々と同じ立場にあったとしても、その『デスノート』(が仮に存在するとしても)の使用だけは避けたい。相手を殺してしまっても、おそらく自分の気持ちが治まることはないだろう。逆に、相手を殺してしまえば自害をしかねない。それまで家族が自分にとっては最も大切なものであったのに、それを一瞬のうちに奪われてしまって、その復讐を果たした後に自分に何が残るというのだ?生きていること自体に意味を見失っているのだから、相手の生命を奪ってしまえば、それで本望だ。あとは自分も天国の家族のもとへ…という次第になる。

本当に復讐をするべきなら、命を奪わず、生き地獄というものを与えるしかない。
精神的にサディスティックな人ならばそれで構わないかもしれないが、普通の精神の持ち主であれば、相手からの誠心誠意の謝罪の言葉を聞きたいはずだ。しかし、それでも満足できるものではないことは確かだ。最終的には、許すか許さないかは当の本人自身の気持ち一つなのだ。

心の優しい人間だけの世界なんて不可能だ。
でも、それに近づけていけるよう、我々は努力をすることは幾らでもできるはずだ。

愛するって難しい。

愛って難しい…。

でも、三輪明宏先生からすれば、「愛なんて簡単よぉ~」と返されそうだけれど…。
そう、愛ってものはシンプルなものなのに、それを難しくさせているのは当の本人たちだったりする。シンプルなものをあるがままに受け入れず、いろんな方向から眺めたり突いたりして見えるがままを受け入れようとしない。いや、受け入れたいのだけれど、それを受け入れていいのか迷っているんだと思う。

結婚にいたっては、さらに難しい。

これにはさすがの三輪先生も「結婚は難しいわよね」と言いかねない。
結婚する当人同士は何の問題もないのだ。
けれども、当人同士の向こう側にいる家族との関わりで問題が発生してくるのだ。

さらにこの御時世、男はロクデナシが蔓延り、女は目を凝らして相手がロクデナシかそうでないかを見極めるのに時間がかかる。万が一、ロクデナシに捕まってしまったら大変だ。情が湧いてきて、いよいよ離れられなくなる。

かく言う自分はどうか…?ロクデナシかそうでないか?

彼女に聞けば、その答えを教えてくれるだろうけれど、自分自身としては前者だと思う。
だって、ロクデナシでないのならとっくの昔に彼女を幸せにできてるじゃないか…。

2006年5月1日月曜日

Ghost in the Machine

先日、NHKで興味深い番組をやってました。
もちろん、見た方もいるでしょうけど、内容は簡潔に言ってこんな感じです。

押井守監督の『攻殻機動隊』や『イノセンス』で描かれている世界は、実は我々の身近に起こっていることである。人間は脳だけの存在になり、身体は義体と呼ばれる機械の体に接続され、個人は様々なものとネットワークで繋がるようになる…云々。
実際に、脳に電極を刺して視覚を手に入れる全盲の男性や事故で腕を失った男性(女性も)が特殊な義手を体に装着し、その義手が神経からの信号を受け取り、自分の腕を動かしていたのと同様に義手を動かせるようになる等、驚きの連続のような内容。
科学はどこまでも発展していくが、そこで必ず手痛いしっぺ返しが来る、と警告する学者。
(その辺で寝てしまってました…汗)

この手の話は、大学で脳波の研究をやっていた頃に聞いていた。
頭に電極を刺して、デジカメ+コンピュータで視覚を手に入れるというのも、以前に何かで読んだ気がする。

しかし、ここで自分が気になったのは、人間が脳だけの存在になり、体はそれこそ『攻殻機動隊』のように義体を用い、神経ネットワークは様々なところでネットワークで繋がるようになる、ということ。その方法が頭に直接電極を刺すのかどうかは、そのときになってみないと分からないが、これはいずれ起こることなのかもしれない。

そうなると、人間は精神というものだけの存在になり、体は古くなれば新しいものに取り替えられる。そうなると、脳が生きている限り、人は不死の存在になってしまうのだろうか?もちろん、日に何千という脳細胞が死んでいくことは周知の事実であるから、完全な不死になるということはありえない。でも、体の取替えがきくということから、身体的な疾病は消えてしまうのかもしれない。それはそれで面白いと思う。

そして、人間が精神だけの存在であらゆる所とネットワークで繋がるのなら、海外旅行だって飛行機に乗る必要はなく、必要なのは旅行先で必要になる義体ということになるだろう。
例えば、今から日本の裏側へ旅行に行きたいと思うとき、その旅行先に自分の精神が宿るための義体があればいい。そして、自分の脳をネットワークに接続してしばらくすると、自分はすでに旅行先に着いている。なんだか、これって『マトリックス』のエージェントみたいじゃないか!?自分が狙う先に自分自身を転送できるんだから。『マトリックス』の世界は、そうなるとやはり事実なのかもしれない。

(訳のわからないことをダラダラと書いていってしまったから、自分でもどこをどうまとめていいか困ってしまっている)

でも、これで小説とかマンガを描けそうな気がする。
例えば、こんな感じで…

『20XX年、人間は精神だけの存在となり、その体は意味をなさなくなった。
そして、人間はネットワーク上を自由自在に移動できるネットワーク上に存在にしている【機械の中の幽霊】と呼ばれるようになった』

たしか、Ghost in the machineって言葉を使ったのはデカルトだったかなァ…?

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