2007年1月7日日曜日

人間は怖いか?

歯科医家族の兄妹事件は、むごい事件だと思う。

毎日ニュースで新たな情報が報道されるが、さすがの私も「なんでこんな事件が起きたんだ?」と思わずにはいられない。

事件のことについて書くのは、はっきり言って気分が悪くなるのでここで止めておくとして、少し考えたいのはどうして最近の人(特に若い人)はちょっとしたことでキレやすいのか?ということだ。

ちょっと前の事件で例えれば、電車の中でウォークマンの音漏れが酷かったことを注意したサラリーマンを『カッとなって』殺した若者…。

通りを歩いていて、肩がぶつかった程度でキレて殺人もしくは傷害事件を起こす人々…。

カフェで自習しているのはいいんだけれど、席を立った際にカバンがテーブルにあたり、自習している人の集中を妨げてしまったときに聞こえる舌打ち…。


そういうのって、経験ありませんか?


たしかにその腹の立つ思いは分かるけれども、人を殺すほど『カッと』なるか?
他人をボコボコに殴り倒したり、ナイフで傷付けたりするくらい我を失うか?
ちょっとしたことで途切れた集中や「ごめんなさい」の一言がなかった程度で、舌打ちをしたくなるのか?


私が生粋のO型人間であるからか、私はその程度のことではまず『カッと』くることはない。
そもそも、『カッと』くることがない。
怒りがワナワナとこみ上げてくることはあるけれども、その怒りが自分の中の導火線に火をつけることはない。
なぜなら、怒ることは基本的にある程度のパワーを必要とするからだ。脱線してしまうが、人を『叱る』場合はそれ以上にパワーを必要とする。怒ることと叱ることは同義のように取られがちだが、その性質は根本的に異なる。まぁ、その話はいいとして、怒りはパワーを必要とする。だから、私は怒らないように努めている。

だって、どこの馬の骨ともわからない人間のために、自分のパワーを使いたくないもの。
できることなら自分のパワーは自分が大切に思う人たちのために使いたい。もちろん、自分のためも含めて。

しかし、こんな私でも昔は若気の至りというか、「我こそが正義なり」という正義感に燃えて間違いを正すことをはばからなかった。例えば、新幹線の禁煙車両でタバコを吹かしている輩を見つければ、即座に注意しに行った。かつては私も喫煙者だったが、喫煙をやめて以来、大の嫌煙家となってしまった。だから、タバコの臭いが服に染み付こうものなら、世の中の喫煙者をすべて敵に回してでも裁判沙汰にしてやりたいと思うくらいだった。もちろん、今でもそんなふうに思うことはある。ただ、その気持ちを抑えることを覚えたので、今のところ事なきを得ている。

ここで自分が問うていたことのヒントがあると思う。
『カッと』来る、来ないは別として、自分に正義があると思うとき、人は行動に出る。

『正義』とは本当に厄介な代物だ。
個人レベルでも国家レベルでも、『正義』という言葉が出てきたら、それは状況を客観視できなくなっていることの表れだ。
『正義』を語れるほど人間なんてものは偉くない。

なんか中途半端になっちゃったな。

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