2007年1月7日日曜日

久々にPearl Jamを聴く。

私がまだ予備校生だった頃、私はベタベタの洋楽好きで特にグランジロックに傾倒していた。

「グランジロックって何?」

という人はここでチェックしてみてください。
このグランジへの入り口は、もちろんNirvana。当時はNirvana一色だと言っていいくらい、私は彼らの音にハマっていた。それどころか、ファッションさえグランジファッションに身を包んでいた。そりゃ、メンズノンノあたりを読んだりしましたが、どれもあまりのもカッコつけ過ぎていて自分のスタイルに合ってませんでしたね。それは今でも変わりませんが…orz(爆)

最近、ぽすれんを利用し始めたことから過去に聴きたかったCD群をガンガン借りてはiTunesに落としているわけですが、その中で群を抜いてよく聴いているのがPearl Jam(パールジャムと読む)。

グランジロックが大隆盛の頃、そこには2大政党ならぬ、2大バンドがありました。1つは前出のNirvana。そして、もう一方がパールジャム。
この2つのバンド、仲が悪いというわけではなかったのですが、Nirvanaのヴォーカル/ギターの故カート・コバーンがパールジャムのことを嫌っていたので、私もつい彼に扇動されてしまったのです。ということで、Nirvanaファンでありながらパールジャムを聴くというのは、まさに踏み絵状態なワケだったのです。そんな理由でパールジャムは「聴いてみたいな〜」と興味を持ちつつも、2ndアルバムの『Vs.』以外はほとんど聴いていないという状態でここまで生きてきました。

そして、ぽすれんを始めたことで過去のパールジャムのアルバムをどんどん借りて聴いているところなのですが、失われた10年が戻ってきてます。いやぁ〜、失われた10年間の重みは大きい。

パールジャムはこんなすごい音楽を作っていたのか!?

と思わずにはいられません。
なんせ、Nirvanaはカート・コバーンの自殺により解散となり、実質、そこでグランジは死んだも同然のような状態となりました。そんなグランジという一大ブームからひとつもふたつも頭を抜き出て行くために、パールジャムはかなり苦労したのだろうと思います。特に、カート・コバーンの死後すぐに発表された『Vitalogy』あたりなんか、挑戦的な音作りになってます。そして、この頃には有名なチケットマスターとの法廷闘争もあり、パールジャムというバンドの混迷の時代だったのかもしれません。そして、バンドからコマーシャリズムを一切脱ぎ払うという手段から、プロモーションビデオの作成を止めてしまったほどです。だから、ふと気がつくと彼らのアルバムがひょっこりと店頭に並んでいるということもありました。

そういったパールジャムというバンドを取り巻いている背景はよく知っているのですが、肝心のサウンドの方にはどうしても踏み込むことができずにいました。それは過去の『踏み絵』を想起させるものであり、自分自身が引きずってしまっている暗い過去の象徴でもありました。

そして、過去の自分とは決別して新たな一歩を踏み出すために、パールジャムを聴くという手段に出たわけです。端から見れば、なんと稚拙なことなのだろうと思いますが、自分の脳の随までしみ込んでいるものを取り払って行くことはなかなかの苦労ものです。自分の強迫神経症を克服していくためにも、過去を客観的に観察し、それを乗り越えていくことが大事なのだと思います。

自分自身の信条として『変わり続ける』というものがあり、それ自体が自分の中で不変のものでもあります。つまり、逆説的な2つの状態を維持していくことが自分自身であることの証明だと考えています。『変わり続ける』ということを『守り続ける』のです。この発想はまさに《転がる石》(Rolling Stones)であるための基本なのかもしれませんね。

0 件のコメント:

Zenback