2007年2月10日土曜日

いじめ考えるきっかけに…

asahi.com:「いじめ考えるきっかけに」自殺の息子、実名と写真公開 - 社会

まずは私論から。

私は『いじめ』というものは今後もなくならないと思う。老若男女、人間がそれなりの数集まれば、自ずと強者と弱者の関係が生まれてもおかしくない。そして、そこに力の上下関係が生まれるだろうし、その集団の精神年齢が幼ければ、『いじめ』といった現象が生まれることもありうるだろう。あたかもそれは必然であるかのように…。

しかし、だからといって、私は『いじめ』の存在を容認しているわけではない。『いじめ』という現象はあってはならないものだし、我々はそれが発生しないように最大限の努力をするべきである。

いじめ問題がピークに達していた頃のマスコミによる報道には、異様なものがあった。それは『いじめ』に遭い、苦しみ抜いた挙げ句に自殺という選択肢を選んでしまった子供たちを、まるで英雄でもあるかのように取り上げて報道したこと。彼らが望んだことはそのように取り上げられることではなく、ただ普通に生きていくだけの自由ではなかったのか?

この問題を直視したのは、実は子供たち自身であって、大人たちは直視してるフリをして目を背けていたのである。『いじめ』による自殺者が次々と増えていく中、学校や教育委員会の体質がいっこうに変わらないことがそのことを示している。そのような状況だから、子供は大人を信用しなくなるのではないのか。

『いじめ』はおそらくなくならない。

その前提に立って、『いじめ』をいかに未然に防ぐかが我々に突きつけられた命題である。そして、どんなに苦しい『いじめ』にあっていても、命を投げ出さないでほしい。もし自分をいじめている奴らに本気で復讐したいなら、生き抜くことが奴らへの復讐になるのだ。

苦しければ、辛ければ、逃げればいい。

ただし、『死』という場所だけには逃げないでほしい。そこ以外にとりあえず逃げ延びて、生きてほしい。

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