2007年4月2日月曜日

自衛官は人殺しの練習か?

政治に携わる人はどうして常識的な表現ができない人が多いんだろう?
自衛官が「人殺しの練習」=上田埼玉知事、式辞で発言
4月2日19時33分配信 時事通信

 埼玉県の上田清司知事は2日、さいたま市内で開かれた県新規採用職員就任式の式辞で、「自衛官の人は大変ですよ。分かりやすく言えば、いつも平和を守るために人殺しの練習をしている」と発言した。さらに「だから、われわれは『偉い』と言って、(自衛官を)ほめ称えなくてはいけない。頑張れ、頑張れと」と述べた。
 同知事は警察官にも言及し、「県民の生命や財産を守るという崇高な使命の下に、どうかすると人を疑ったり人を痛めつける練習をしなくてはいけない」とし、「(県職員は)そういう類と違って多くの方に喜びを与え、感謝され、自分もその喜びを感じることができる素晴らしい仕事」と続けた。

平和を守ることが『人殺し』なのかどうかも疑問だ。
この人の言ってることを踏まえると、平和というのは人の命を奪うことの上になりたつものらしい。

それに平和を守るために『人殺し』をし、それを「頑張れ、頑張れ」と奨励している。
支離滅裂だな、こりゃ…。

「先生、先生」と呼ばれ続けている人間は、いつしかこのように常識の欠落した人間に落ちぶれてしまうのだろうか?

私は英会話の講師をしていた頃、どこに行っても「先生、先生」と呼ばれたが、決してそれに甘んじないようにした。それに、先生と呼ばれる以上、生徒や学校のスタッフよりも知っていなければならないことが俄然多い。そのために、いろんな情報収集をしていた。つまり、生徒やスタッフの人がやってる以上の努力をやらなければ、『先生』と呼ばれる資格はないと思って毎日を過ごしていた。そして、もちろん、それを鼻にかけるつもりもない。知識が多い、ただそれだけのことだ。別に偉くも何ともない。

生徒の年齢層は様々だったので、生徒の中にこそ本当に偉い人がいて、私なんかはいろいろと教えてもらったりしていた。そして、スタッフの人の頑張りがあってこそ、講師が安心して授業をできるのだ。だから、『先生』と呼ばれることが私はすこぶるおこがましく思われたものだ。

ちょうどいまあちこちで知事選や県議員選挙なんかが行われているときだからこそ、政治家になろうとしている人はいま一度自分の思う常識が本当に『常識』であるかどうかを確かめてほしい。

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