2007年5月10日木曜日

報道に流されない日々

ここのところ、何かと忙しいためかテレビをほとんど見ることがない。
おまけに新聞も読むこともない。
以前は新聞くらい読む時間はあったのだけれど、いまでは単なる怠け癖のためか新聞を読まない、と言った方が正確か…。ネットでさらっとニュースを読むくらいはできるはずなのだから…。

おかげで、世の中に関して本当に疎くなった。

しかし、これはここのところ、何かと忙しいためかテレビをほとんど見ることがない。
おまけに新聞も読むこともない。
以前は新聞くらい読む時間はあったのだけれど、いまでは単なる怠け癖のためか新聞を読まない、と言った方が正確か…。ネットでさらっとニュースを読むくらいはできるはずなのだから…。

おかげで、世の中に関して本当に疎くなった。

しかし、実はこれが私の世の中を新しい目で見るための実験なのだ。

というのは、新聞であれテレビであれ、人が報道する際に何らかのバイアスがそこにかかっているはずなのだ。どんなニュースでも編集次第で、我々受け手がどのようにそのニュースを受け取るかは変わってくる。それをどうにか変化させようとしているのがいまの私だ。

あまりにも情報過多で、自分の中に入ってくる情報を処理しきれないのである。だから、いまはいったんできるだけ情報を入ってこないようにして、自分の頭の中をクリーンにしようとしている、というのが私の自分に対する見解だ。



しかし、『ライフハックのつくりかた』で著されているには、インプットが最初ではなく、アウトプットが最初にきて、それからインプットがくるというのである。

つまり、アウトプットする(何かを発する)という需要があってはじめて、インプットの需要が生まれるのだということらしい。たしかにその通りだ。ただただ情報を溜め込んでいくというのは、実はすごく難しい。アウトプットを伴わないインプットは風化されてしまうことが多い。

したがって、私が新聞やテレビなどでニュースを見ないのは、自分の中に発するべきメッセージが生まれてこないからなのではないのだろうか?と思う。

これは私自身の問題意識の低下だ。
放っておけばやってくる日々に己の身を任せて、その流れに身を委ねているだけなのだ。これではいけない。この流れの中のどこかで、何かにしがみつかないと…。私は流されるのは嫌いだ。

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