2007年8月5日日曜日

世の中、逆説だらけ。

図書館から借りてきていた、『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』(森下伸也著)を読み終わりました。



全編を通して描かれているのは、世の中にいかに“逆説”というものがまかり通っているか、という事実。

福沢諭吉の『学問のすゝめ』において、著者である諭吉は“疑う”ことが文明の源泉である、と説いている。
たしかに、疑うことをやめてしまったら、物事は先に進まないことがある。
目の前の事象は果たして、目で見るままのことなのか、それとも、自分の目が化かされているのか、疑ってみることから本当のことを知ることができる。

面白いのは、人類がなぜここまで隆盛をきわめて、地球上のあらゆる場所で生活してるのかという説明。

そもそも、人類を除くすべての動物(アメーバやミジンコを含めて)は、“完全なる本能”というものを持っている。完全であるということは、つまり、エラーがないということ。もしサバンナに住むライオンやトラ、チーターであれば、獲物に気づかれないように近づき、狙いをすまして一気に狩る。これは彼らの狩猟本能にすでにインプリントされているものであり、ここにエラー(欠陥)があることは彼らに“死”を意味する。

しかし、人間はエラー(欠陥)だらけの本能を持っている。人間は上記にあげた動物たちよりも狩りが上手いわけではないし、逆に簡単に教われてしまうほど非力な存在である。言ってみれば、人間は自然界のエラーそのものなのである。それなのに、どうして人類は隆盛を極めているのか?

答えは人間のもつエラー(欠陥)にある。
「エラーは差異を生み、差異は多様性を生むことによって、生命の存続に寄与している」
突然変異という自然界のエラーから人類は知性をそなえた人類となり、文化をつくり出してきたわけであるが、その文化もやはり「失敗は成功のもと」であって、しばしば文化は人間自身によるエラーによって飛躍的に前進する。

上記の通り、いま文化は猛烈な勢いで変化している。
昨日正しいと思ったことが、今日は間違いになってしまうことだってある。それまで栄華を誇っていたものが、突然衰退してしまうことだってある。この参院選での自民党の大負け、民主党の大勝利を見れば、それは明らかだ。

私たち自身がそういった変化を引き起こしているのだけれど、果たして私たちはその自らが引き起こしている変化に対応していけるのであろうか?ここにも逆説が生じる。それはまるで「嘘つきのクレタ島人」というパラドックスにも似ている。

もし『クレタ島人はいつでも必ず嘘をつく』と言っているのが当のクレタ島人だとしたら、彼の言っていることの真偽は永遠に分からない。もし彼が言っていることが正しいとすると、『クレタ島人はいつでも必ず嘘をつく』という発言は成立しなくなってしまう。もちろん、その逆も然りである。つまり、自己破壊の逆説なのである。

話が少し逸れてしまったけれど、私たちは私たち自身が引き起こしている変化に、いつか食われてしまうかもしれない。

少し前の話になるが、ハリケーン“カトリーナ”によってアメリカの南東部は壊滅的なダメージを受けた。ハリケーン自体は自然に発生するものなのかもしれないが、ハリケーンを発生しやすくしたのは人類が自然環境にもたらした“変化”かもしれない。そう考えると、まさに私たちが引き起こしている変化は、私たちを食らい尽くすことになるかもしれない…。

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